私のオーストラリア留学中、バイタリティーと人間力で留学滞在を凌駕していた魅力的な日本人の方がいました。
本人は変わってると自分で言っていますが、私はコミュニケーション能力が突出しているという言い方が合ってると思ってます。
現在は日本に在住し、ご結婚されていて3人のお子様を持つお父さん。
再生可能エネルギーの仕事を経て、投資会社代表を務めています。他にも事業に関連する管理会社などを経営し、多岐に渡って活躍中です。
留学時の人脈を駆使して、オーストラリアの木を日本の造園業に持ち込めないかと貿易業を計画中です。
野球漬けの日々から脱した時に体験した挫折、それからどう考えて自分を変えていったのか。なぜ留学につながったのか。全く喋れなかった英語をどのように取得していったのかなどを直接インタビューしました。
渡航直後から各国の人、先生、日本人にも大人気だったヒデさんのお話はこれから留学を考えている方の参考になると思います。
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留学のきっかけは挫折、自分を知ることから始まった
なんでヒデさんは留学しようと思ったんですか?
最初シドニーで会った時、全く英語を喋れなかったですよね。
僕は野球で高校、大学と進学したんです。中学校時代に全国大会、高校時代には甲子園も出たことがあります。
大学でも全国大会行きました。大学在学中も野球の道を行くことを目指したので、正直勉強はあまりしてなかったんです。特に英語は全く勉強してなかったです。
大学は4年間行って、その後に母校の先生をやらないかとか塗装屋の仕事やらないかと何個か正式にオファーをいただきました。それゆえに俺はどこでも絶対就職がうまくいくっていう自信がありました。変だから(笑)
それで知り合いなど関係なく、とりあえず地元の名古屋で1社受けたら、案の定落ちました。その時に「なんで?」と思うのと同時に、世の中舐めていたなと思ったんです。
そこから留学を選択するってなかなか思い浮かばないんですけど、どうつながったんですか?
ふと、自分の1番の弱みはなんだろうと考えたんです。そしたら英語だって。1番の弱みを1番の強みに変えたら自分に自信になるんじゃないかって導き出した答えです。
なんか答えの導き方が独特ですね!発想がおもしろい!
基本的に誰かがやってるからとかそういうのが苦手で、人と同じことが出来ないタイプなので、自分なりのやり方を見つけて、納得のいく方法を導き出しました。
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モットーは「逃げの場のない覚悟が夢に変わる」
英語を勉強するだけなら日本でもできると思うんですが、海外で学ぼうと思ったのは?
現地に行って自分の逃げ場を完全に消したいって思ったんです。
野球での高校進学の時も地元の高校でも良かったんですが、そこに行ったら自分の性格上、遊んじゃうなって。なので、本当は寮生活は嫌だけど、県外の強豪校に行って逃げ場をなくしました。甲子園に行けたのもそのおかげだと思います。
それがヒデさんのモットーなんですね。
長渕剛さんのシャボン玉って曲に「逃げの場のない覚悟が夢に変わる」って歌詞があって。それを大事にして生きてきました。
渡航前は空港で英語を聞くんじゃなくて「シャボン玉」聞いて、心熱くしてましたよ(笑)自分の性格をよく知るというのは、一番大切じゃないかなと思います。
その後はどう渡航に向けて準備していったのですか?
そこからまずは留学資金を貯めようと。プラスで根性を鍛え直す意味も兼ねて、自衛隊に4年勤めました。
重い荷物を背負いながら富士山の崖を登ったりと辛いことはたくさんにありましたが、根性は相当鍛えたれましたね。そこでも27歳で辞めるって決めてました。
理由は26歳までに辞めた場合は自衛隊に出戻りできるんですよ。だから出戻りが出来ない27歳になったら辞めると。ここでも逃げ場を消しましたね!
渡航前に英語の準備はしました?
英語はほぼ勉強してないです!現地の語学学校行き始めは「be動詞」も正直分かりませんでした!「be動詞」ってなんか聞いたことがあるけど、、、、、そんなレベルです!
英語を喋れなかった時のエピソードってありますか?
学校のクラス分けで、先生に「Oh my god!レベルゼロ!」と言われたのは今でも覚えてます(笑)
テストも答えが分からないのではなくて、問題の意味が分からなくて。問題の解読のために辞書で調べてたら白紙で時間終了になってました。
宿題でも「book」って単語が出てきて、「予約」って意味があるのを知らず「本」がここの文章に入ってくるのはおかしい!問題が間違っているとシェアメイトに言ったら、「普通にあってるよ、この文章」と言われたこともありました(笑)
あとは学校のアクティビティで美術館に行ったときに、「Are you boring?(つまんない?)」って聞かれたので、「今からボーリングに行くのか!OK!」って答えてたくらいですかね!
英語のことはよく分かりました。最高のエピソードもってますね(笑)
渡航前に立てた目標とかはありましたか?
現地で英語で働けるレベルまでに語学力をつけて、仕事に就きたい!っていう明確な目標はありましたね。
現地での心境の変化と英語力
実際に現地について1番最初に思ったことはなんでしたか?
英語ができる日本の友人がたまたまシドニーに旅行に来てるということで、半日家探しだけ手伝ってと頼めたんですよ。
でも空港でうまく会うことができず。電話も持ってなかったので。禁煙中だったんですが、イライラしてタバコを200本くらい吸ってやりたい気持ちでした。とにかくパニックでした。その後ちゃんと会えたから良かったですけど(笑)
バイタリティーに溢れてて、怖いものなしなヒデさんでも不安な気持ちとかはあったんですか?
めちゃくちゃありましたよ。いちおエージェントを通してから行きましたけど、家などの手配は全部自分でしなきゃいけなかったので、心配だらけでした。
エージェントの人に話したら、3ヶ月したら英語は喋れるからと言われたんですけど、3ヶ月経っても文法が分からないから、基本はジェスチャーでした。
それでも毎日外国人と飲んでたので、耳は慣れてきてました。言ってることは大体分かるようになってましたね。でも電話はきつかったです。ジェスチャーが通じないので!家探しで電話しても何回も切られましたよ。
その英語力だったのになんでアジアン、南米、ヨーロピアンを問わずに多くの友達がすぐにできたんですか?
一番大きかったのはバーベキューです。パースではバーベキューOKの場所が多くて、よく学校のイベントなどで参加してました。
英語のレベルが下のクラスの人は喋れないから参加しないんです。来るのはだいたい上の喋れるクラスの生徒なんです。あとは卒業生が来てましたね。
そうすると一緒にいる人のレベルが高くて。喋れる人たちの方が英語を予測するのも、教えるのも上手だし、コミュケーションを取ろうとしてくれるので、そのコミュニティーに飛び込んだのは大きかったです!
英語の自信がついた瞬間とかあったんですか?
自信がついたとかじゃないんですけど、そのようなエピソードが2つあります。
1つ目は、最初ドミトリーで17人部屋くらいあるところで生活していたときです。当時住んでいたオーストラリア人が「お前の宿題やってやるから、サッカーしようぜ!」って言ってきたのでお願いしました。後日、学校で自信満々に宿題提出したのですが、半分くらい間違ってて(笑)
なんだよ、現地の人でも出来ない人は出来ないんだって自信というか吹っ切れました。そこからは間違いを恐れずに積極的に喋れるようになった気がします。
2つ目は語学学校の先生に「大抵の日本人は、読める、書ける、話せない。でもヒデは、読めない、書けない、話せる」と言われてスピーキングだけはアッパークラス(現地で仕事ができるレベル)に上げてくれた時は嬉しかったです。
どんな状況でも人脈と運があれば乗り越えられる
留学中になにか特別な体験はありましたか?
パースにいた時ですが、当時はランチ前で学校で終わり、スーパーも夕方には終わってしまう街だったので、家探しには苦戦しましたね。午前中に家を見にこいっていうオーナーが多くて。学校行ってるから行けないよって!(笑)
結局は知り合いの紹介で1軒屋の家に住まわせてもらうことになったのですが、そのオーナーが転勤でゴールドコースへ行くからって言われて。なんと1軒屋の家に1人で週200豪ドルで住んでました。
庭は業者がきて、勝手にきれいにしてくれるし、最高でした。
そこでホームパーティーをやり放題だったのも、友達がたくさんできた理由かもしれないです。そのあとはGumtreeなどの掲示板でシェアメイト募集して、一緒に住んでました。
もうオーナーじゃないですか!!そんな体験普通ないですよね。
どういう基準でシェアメイトを選んだのですか?
ニュージーランドの弁護士さんを選んだんですが、理由は単純で英語が分かりやすかったからです。
家電が壊れたりしたら彼が全部オーナーと話してやってくれました。その後はいろいろオーナーの方で住む家がなくなったなど事情があって家から1週間で出てってって言われて。まぁいい体験でしたよ。
現地ローカルのお店で働く目標達成
ヒデさんは困った時でも人脈と運ですべてをポジティブな方向に変えていけるんですね。
仕事はどうしてたんですか?
シドニーの時はバイトして勉強してとなると、両立できず中途半端になってしまうと思ったので、半年間はしてなかったです。
大学卒業後などで来てる若い人は難しいですけど、社会人で貯蓄してから行ったので可能でした。移動したパースでは目標にしていた仕事に就くということを達成しましたよ。
ローカルの仕事ですか?
ローカルの仕事ですよ。ジャパレス(ジャパニーズレストラン)だと10ドル前後の時給で、物価の高いパースでは余裕がつくれないので。その時は英語力が自然とついてましたね。
仕事の内容は配達で、食材などを車で運ぶ仕事だったんですが、時給20豪ドル以上はもらってましたね。
オーナーに気に入られて仕事いっぱいやってました。月に6000豪ドル近く稼いだこともありました。仲良くなったので洗車とかもなんでもやってました。最後に辞める時には配達先のおばあちゃんが抱きついてきたのを覚えてます!
留学前の自分との比較、自己成長の実感
海外の友人と普段から生活し、教えてもらいながら自然と語学力が伸びてったんですね。そのコミュニティーづくりはヒデさんならではですね。
ちなみに一番っていうのは難しいですが、楽しかった思い出っておりますか?
全部が楽しいので難しいですが、1つだけあげるとすれば帰国前にパースで仲の良かった女の子3人とマーガレットリバーに旅行いったことですかね。
旅行自体が楽しかったは当然なんですが、自分で企画して、レンタカーも宿泊先も予約してと、全部英語でオーガナイズ出来たときに、俺英語ができるようになったなと感慨深かったです。なんせbe動詞も分からなかった訳ですから(笑)
あとその旅行のとき、女の子3人と歩いているんで、女の子がナンパされるんですよ。でも「私たちはこの人とデートなのでごめんなさい!」と腕組んできて一緒に歩いたのはいい気分でしたね!彼女たちはギャグでやってましたけど。
最後はどれくらい英語が喋れるようになったんですか?
一人で海外を旅行できるレベルにはなってましたね。一度日本に帰国した後も、バックパッカーで東南アジアを中心に世界を歩いてましたよ。その時に出会った日本人の学生さんたちが今では社会人になってるんですけど「ヒデさん聞いてください」と連絡してきます。
頑張ったら頑張った分だけ人生が変わる
ヒデさんの場合は場所とか国籍など関係なく、どこでも誰でも人脈を広げられるんですね。
最後になりますが、何かワーホリ滞在のなかでやり残したことってありましたか?
たまに聞かれるんですけど、僕の性格上ないですね。爪痕を残しすぎて爪がないっていつも答えてます。
それくらい充実した留学生活できると理想的ですね。これから留学される方に伝えたいことはありますか?
頑張ったら頑張った分だけ人生が変わると思ってます。
まずは良く自分という人間を理解して、環境づくりだったり、プロセスを構築していくといいじゃないかと思います。僕の場合は「逃げの場のない覚悟が夢に変わる」でしたけど、それぞれのアプローチの仕方で進めればより良い体験になると思います。
たくさんのお話しありがとうございました。久しぶりでしたけど、いつ話してもヒデさんはそのままで面白かったです。パワーをもらいました!私もまたヒデさんみたいにバリバリに攻めて行かないといけないと刺激をもらいました。長いお時間ありがとうございました。