【ワーホリ経験者インタビュー!Vol.4】ファームでクビに?!「誰かのためにが自分のために」だいちくん!

インタビュー
【ワーホリ経験者インタビュー!Vol.4】ファームでクビに?!「誰かのためにが自分のために」だいちくん!

どんな困難でも、ポジティブに捉えて進むだいちくん。思わぬトラブルにあった時は、いつも周りの誰かに支えられて立ち直り、目標に向けて歩き出していました。

前職は、誰もが知る有名テーマパークのホテルで英語担当のベルサービスをされていました。その後ご結婚され、現在はキャンプ場に転職。集客から告知・イベント計画・接客・掃除・修繕と運営に関わるの全てのお仕事をされています。ショベルカーやチェーンソーの免許も取得し、地盤を固める作業から建築までもこなしています。

大好きだったサッカーと共に歩んできた人生。今では笑って話せるが、苦しんだ日本での過去、海外生活での苦悩、さらに現地で仕事をクビになった時のお話などを聞くことができました。目標を決めたら止まらないだいちくんの姿勢は留学だけでなく、生き方の参考にもなりますので、ぜひご参考にしてみてください。

苦悩、葛藤。何かを成し遂げることが必要だった

留学に至るまでの経緯を教えていただけますか?

大元のきっかけは専門学校を中退したことでした。高校時代はサッカー漬けで、大学でもサッカーを続けたいと思っていたのですが、両親に大学に行くよりも専門学校で手に職をつけたほうが良いとアドバイスされ、柔道整復師の専門学校に入学しました。柔道整復師もどこかでサッカーとつながっていたいと思っていて選びました。結果、本当にやりたいことではなかったので、やめてしまったんです。両親への申し訳なさや、周りの友達の目などもあり、この時が人生で一番悩みました。

専門学校を辞めた後は、どうやって過ごしていたのですか?

居酒屋店長

専門学校を辞めたので居酒屋のアルバイトの数が増え、最後は店長として働いていました。そこで飲食業の経営者などが集まるコミュニティーに出会い、接客やSNSの活用法、経営戦略、勉強会に参加させていただいてました。その時に会った1人の方から、老人の方にアンケートをとると「若いときにいろいろ挑戦しておいたほうがよかった」の答えが一番多いんだよと言われました。何も目標がなかった私は、この言葉がきっかけで、何かに挑戦しなければと焦ったのを覚えています。

その挑戦が留学になったのですか?

ゴールドコーストマラソン

最初は留学ではなくて、とりあえず何かに挑戦しなければと思い、フルマラソン完走に挑戦することに決めました。理由はちょうどテレビで東京マラソンが流れていたからです(笑)すぐにマラソンの練習を開始して、自分の中で準備が整う予定を立てました。ちょうどいい時期にオーストラリアのゴールドコーストマラソンがあったので、ツアーですが19歳の夏に初めて1人で海外に行きました。マラソンは無事完走し、立てた目標を達成することができました。

考え方、イギリスへの想い、家族と友人のありがたみ

立てた目標に対して、達成まで持っていくことは大切ですよね。
マラソンでオーストラリアに行ったことが留学のきっかけになったのですか?

そうです。ツアーで行ったのですが、マラソン本番まで時間が結構あり、現地の旅行会社に行ってみると、駐在されている日本人と話すことができました。その方に専門学校を中退したことなどを話すと「学歴なんて関係ないよ、海外では気にしないよ」と言われたんです。そこで留学への気持ちが芽生えたのを覚えてます。

それに加えて、現地で悔しい思いをしたことも後押しになりました。当時SARSが流行していたので、マスクをして1人で散歩をしていたら、若者のグループに怒鳴られたんです。当時は無知でしたが、マスクには何か悪さをしそうな人、まずい菌を持っている人という、とてもマイナスなイメージが欧米ではあったみたいです。19歳ということもあり、怖すぎてすぐホテルに戻って1日中缶詰状態。英語が分からなかったので、怒っているのか、からかっているのかも分かりませんでした。

また帰国後に留学経験のある先輩に言われた言葉が決め手になりました。「俺の経験上、人生で海外に行かないのは損!」でした。その時に心はほぼ決まってましたけどね。

たくさんの理由が積み重なって行って留学を決めたれたんですね。
オーストラリアを選んだ理由はなんですか?

イギリスは観光で

第一希望はイギリスでした。理由はサッカーの母国で、知りたい、見たいでした。イギリスに行くにあたって、半年間は180万円以上の預金が銀行にないといけない決まりがあったので、半年間、毎月通帳を記帳して証明する資料として提出していました。その苦労も実らず、抽選で落ちてしました。イギリスのワーホリは本当に狭き門ですね。

その後はエージェントの方と相談し、もう1年は待てないからイギリスの元領土でイギリス英語を学びたいとオーストラリアのシドニーに決めました。カナダはアメリカ英語と言われたので。結局はオージイングリッシュでした。

渡航先が決まって、英語の事前勉強はしましたか?

念願のイギリス

アルバイトに行く前に、文法・単語を中心にカフェで勉強していました。個人英会話レッスンにも通っていましたね。そこで仲良くなった受付の人の紹介で1週間イギリスにホームステイ体験をしに行きました。イギリスへ行く目標は捨てられなかったので!!英語の観点で言うとホームステイ先で全く分からなかったです。言いたいことが言葉にして伝えられないのは、すごくストレスでした。

旅行と違い、ワーホリは長い期間の留学ですが話した時の両親の反応はどうでした?

見送ってくれた友人と家族

父親はやるってきめたら止まらない私の性格を知っていたのでOKしてくれました。母親は絶対ダメって言ってましたね。一人暮らしをしたことがないし、それが海外だしと。それでも振り切って行きました。最後は許してくれたんですがね。それもあって、出発日の空港で、見送ってくれる両親をみてグッとなりましたね。そこからは一層仲良くなりました。

なにか留学の目標はありましたか?

シドニー到着

絶対1年間は何がなんでも生活する!が目標でした。

学校よりも仕事で英語力の向上を感じていた

現地についたの生活はホテル暮らしからですか?ホームステイですか?

携帯いじられ放題

最初の約3週間はエージェントでホームステイを手配してもらったので、ホストファミリーと過ごしていました。正直、ご飯はあまり味がしなくて口に合わなかったですが、良い家族でしたよ。子供がいて、時間があう時には一緒に遊んでいました。可愛かったです。その後は掲示板で家を探して、一人暮らしをしていました。

学校はどのように選んだのですか?基準とかありましたか?

語学学校の授業風景

エージェントを通して行ったので、現地で学校を何軒か回らせてくれました。その時に一緒に回っていた人たちの会話に聞き耳を立てて、誰も行かなそうなとこにしようと決めたました。日本人がいない環境が最優先でした。結果、安くて、汚い、誰も入らなそうな学校を選びました。

入学してみて、学校はどうだったんですか?

語学学校のクラスメイト

入学時はインターミディエイトでした。タイ人、香港人、中国人が多くて仲良くはなりましたけど、正直、授業もあまり面白くなく、日本で学んでた方が良かったと思いました。途中で英語が伸びないと判断してしまったので、学校はちゃんと行かなかったです。それでも学校のアクティビティ(イベント)には参加していました。あとはサッカーをしようっていつもクラスメイトを誘ってました。遊んだり、会話したりのコミュニケーション能力は身になったと思っています。内容がどうだったかは関係なく、学校体験ができたので後悔はしてないです。香港人の友人は震災、天災などがあると今でも互いに連絡を取り合う仲になってます。

仕事はどのタイミングで探し始めたんですか?

最初の2ヶ月間で飲みに行ったり、高い日本の缶ビールを箱買いしたりと散財してたので、お金の余裕がなくなりかけてきた頃から仕事を探し始めました。私の場合はJAMS掲示板で見つけました。住んでいた場所の近くに日本食店でウエイターの募集があったので応募しました。

居酒屋店長までやっていたのでキッチンの方がむいてそうですけど。

ベッドが勉強机

そこは募集がウエイターだったの割り切って応募し、働き始めました。実は学校にあまり行かなくなってしまったのは、仕事で英語力が伸びていると感じていたからなんです。なので学校は4ヶ月あるうち2ヶ月行って休学し、その分アルバイトを入れてました。アルバイト先はオフィス街だったので英語にシビアなお客様が多かったです。分からないと違う人に変わってとか、英語で接客ができなければクビになってしまう追い込まれた環境だったので、不安で夜中に勉強したり、ベッドに単語広げて勉強していました。一番難しかったのは電話対応です。相手に怒られて店長に電話をかわるときは何とも悔しく、迷惑をかけたくない気持ちでさらに勉強しました。また接客では英語だけではなく、女性が飲み物を頼んだ際にはストローをつけるなどレディーファーストの文化の違いも学べました。

学校よりも、追い込まれた環境の仕事の方が英語力が伸びたんですね。

働いていた日本食レストラン「コンドル」

3、4ヶ月すると英語だけじゃなくて生活も慣れてきて、マラソンのためにいつもランニングは続けていたんですが、よく道を聞かれるようになりました。その時は走り回って詳しくなっているので、現地人ぶって自信満々に案内していましたよ。それでももっと詳しく教えたいって思って、家に帰って勉強していました。

帰国も考えたクビ宣告と新たな出発

誰かのためになる=自分のためになって、だいちくんのモチベーションが上がるんですね。
そのあと、いつ頃からセカンドビザを取りたいなと考え始めたんですか?

サンシャインコースト到着

生活が慣れてきて、単純にもっといたいなって思ってファームジョブを探し始めました。私の場合はたまたま一緒に住んでいた日本人の女の子が紹介してくれたので助かりました。いつ頃から始まるか分からないけど、現地にいてと言われて指定された場所で生活してたのですが、なかなか始まらず、お金がなくなっていくだけという状況が何週間かつづきました。不安でしたが、ようやくジンジャーファームの仕事がスタートして、働くことができました。

ジンジャーファームってどんな仕事をするんですか?

地獄でした。ハーベースター(大きなトラックみたいな収穫機)で土に埋まった生姜を収穫していくのですが、全部はうまく取りきれないません。その残った生姜を炎天下の中、土を掘って拾い、バケツに積んでコンテナまで運ぶ。これの繰り返しでした。6時には現地で働き始めて、14時30分くらいに終わる感じだったと思います。現場も日によって変わるので、車で行くことを考えたら4時30分ごろには家を出てましたね。

働いていても、英語の指示が分からない部分があって女性のボスに何回か怒られたりしていました。そのときはまだ若かったため、ムスッとした態度がでてしまっていたのか、まさかのクビになったんです。1週間ほどの働いた後、急に「明日からはもう来なくていいよ」って連絡が来たんです。1週間ですよ?クビになった本当の理由もわからず、お金もないのに、仕事がなくなりました。

正確な原因もわからずに「来なくていいよ」は堪えますね・・・・・

さようならNOOSA

かなり落ち込みましたよ。日本では一生懸命に働いて、店長まで任されていたのに。。。。。本当に「帰国してやる」「オーストラリアライフの終了」と思って親にも帰国するって連絡していましたからね。でもその時に一緒にいた友人に落ち込んでる話しを聞いてもらい、シンプルですが「お前いろよ」って言われて残ることを決意しました。今考えたらそこが1番のターニングポイントだった気がきましす。その言葉がなかったら帰国してたと思います。

いてほしいと思ってもらえること自体がだいちさんの力なのかもしれませんね。
そのあとはどうやって乗り越えたんですか?

落ち込んでいた日

セカンドビザ取得の目標は達成したいので、エージェントの人に相談しました。私が最初に行ったのはシドニー でしたが、ゴールドコースとにもエージェントのオフィスがあったので通いました。そこのスタッフさんがセカンドビザ取れる仕事を探してくれて、ケアンズのもっと北にあるバナナファームに応募しました。そうしたらたまたま受かったんです。

でも現地でスタートのアップ講座があって、横にいた台湾人が「英語力がないからあなたは要らない」といきなりクビになったのを見て悪夢が蘇りました。わざわざケアンズの奥まで来て一瞬でクビですよ。気の毒でなりませんでした。私は受け答えができたので大丈夫でした。

英語、生活、経験、全て充実したバナナファーム

悪夢回避よかったです!どのような仕事をするんですか?

バナナファームでの仕事の内容は、ストリンギングハンギングの仕事でした。ストリンギングは広大なバナナ農園を歩いて、倒れないようにバナナとバナナの木を結びつける仕事で、1日20キロくらい歩いてました。ハンギングは収穫したバナナの木を機械につる下げる仕事でした。労働は朝5時から4時くらいまでで、休憩1時間。ベルがなったら働いて、ベルがなったら終了って感じでしたね。体はしんどかったですけど、給料は時給20豪ドル以上で、セカンドビザの取得のためにもやりがいはありました。

バナナファームではどのような生活をされていたんですか?

宿泊先がキャラバンパーク(キャンプ場)で、シャワーもトイレも部屋になく、別の建物で、キッチンも外にあったので、毎日がキャンプでした。そこで出会った台湾人グループとの出会いが、私の英語力を急激に伸ばしてれくました。共有スペースが多いので一緒に生活していると嫌でも英語ですし、台湾人は日本と文化が似ていて、話しやすく会話する機会が多かったです。今までと違って、人生や恋の話など内容の深い話もできました。変なおじさんやバカ殿、黄金伝説など日本の番組も台湾で放送されているみたいで、笑いも近い感覚があります。英語だけじゃなくて、中国語だったらこう言うなどのやりとりで、中国語も少し覚えることができました。日本語も教えてましたよ。

ファーム生活の後はどうされたのですか?

ファームでセカンドビザの取得資格を得た後は、2回目のゴールドコーストマラソンを走って、休学していた学校の残り2ヶ月があるので、シドニーに戻りました。学校が終わった後は一度日本に帰国しました。

経験が現在へ、魔法のツール「サッカーボール」

2年目はどう過ごしたのですか?

2年目は慣れてる状態からスタートでした。1年だとやっぱ心残りで2年目も行けて良かったと思っています。長く居られるのはオーストラリアワーキングホリデイの魅力じゃないかなと思います。1年目の最後にバナナファームで仲良くなった台湾人とニュージーランドに行こうと約束していたので、集合場所のメルボルンに行きました。そこでもニュージーランド旅行の前まで時間があったのでファーム仕事で貯金をしていました。仕事は台湾人の友達が紹介してくれたオリーブ、アプリコット、人参の収穫でした。毎日は仕事はないのですが、普通の仕事よりか時給が高いので生活も満足でした。

ファームは慣れてしまえばお金もいいですし、楽しいですよね。

そして、ニュージーランドを1ヶ月間キャンピングカーでまわる旅行に行きました。いろいろなところに行って毎日楽しいキャンプ生活をしてました。そのあとは台湾に行き、仲の良い友人たちの母国で生活体験をしたりして、日本に帰国しました。

2年目は旅行がメインになったんですね。

2年目はそうですね、ほとんどオーストラリアにいなかったですね。最後にはじめの渡航先だったシドニーに寄って観光して帰国しました。オーストラリア、ありがとうって。

だいちさんの場合は留学の経験が今のキャリアに生かされていますよね。

特にバナナの時のキャラバンパーク生活とこのニュージーのラウンドが今の仕事に生きていると思います。またラウンドしている際、どちらが良いのかは別として、日本と海外のキャンプの考え方が違うのかなと感じました。日本はシャワーやキッチンなど、それなりの施設が整っている宿泊業として考えていて、海外は自然を楽しむものだから、シャワーあったらラッキーくらいの感覚で、海外の方のほうがありのままの自然が好きなのかなと思いました。

今はそのときに感じた、自分でテントを張って、料理を作ってというキャンプの楽しさを小さな子供から大人まで全員に知ってもらい、楽しい経験をしてほしいなと思って働いています。

思い出に残っている出来事は?

繰り返しになりますが、バナナファームの日々の生活ですね。そこで出会えた仲間と生活の経験は忘れられないです。外がキッチンで、シャワーもトイレも別の建物で、普通にやろうと思ってもできないですよね。シャワーはお湯が出ない日もありました。買い物は一番近いスーパーまで車で約3時間かかる。不自由で不便に見えるけど、幸せだった生活は忘れられないです。

滞在中いつも心がけていたことはなんですか?

サッカーボールとスケートボードはどこいく時でも持って行ってました。世界共通の言語とも言えるサッカーは世界を旅する上で、この上ないコミュニケーションツールでした。サッカーボールさえあれば、言葉が通じずともわかりあえますから。

オーストラリアの好きなところはどこでしたか?

スポーツのイベントが多いことです。私の場合はマラソンが趣味だったので大会にたくさん参加しました。コミュニケーションにも健康にもいいですし、積極的に参加することはおすすめです。あとは道路を裸足で歩いててもOKな感じが好きです。日本と季節が逆さまなのは面白いですよね!12月にサンタの格好してマラソンを走ったのは不思議な感覚でした。

やってみないと分からない。やってみて分かること。

これから留学される方、今留学している方に伝えたいことはありますか?

役に立たないと思っていた経験がことが今となっていい経験、人生に役に立ってるので、とりあえずなんでもやってみたらいいと思います。失敗もすればいい、若い人は若いうちにやってしまえ。若くない人でも思いついたらやってしまえです。外国に興味があるならいけば良いと思います。本当に人生が変わります。日本の良さ、悪さ、友達のありがたみ・家族のありがたみ、他にもいろいろなことが分かると思います。留学は語学だけではなく、人を伸ばしますよ。

なにかあったら助けてくれるは人間。出会えた人に感謝です。

何でも良い経験だったと思えるだいちさんと話せて元気をもらいました。今度はファーム生活やマラソンのことも詳しく聞けたらなと思っております。ありがとうございました。

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