体験談

【オーストラリア留学・ワーホリ体験談】少ない費用で充実した日々を過ごしたあいさん!

体験談記事初の女性が登場です!常に自身の語学力に疑いを持ち、満足することなくストイックに過ごしたあいさん。

私と話す時も英語で会話をしていました。同い年で渡航も同時期ということもあり、切磋琢磨していた同志です。

まだまだ足りない!そんなハングリーな姿勢が印象的な女性です。

帰国後はファッション業界に就職し、バイヤーのアシスタントとして活躍。夢だった海外での買い付けを実現。その後、外資系ファッション会社に転職し、広報を担当。

新作アパレルの貸出し対応、スタイリスト対応、新作のイベントのアシスタント活動、本社スペインからの英語でのレポート処理、SNSの記事の制作など様々な分野でご活躍されています。

渡航前に抱いた目標に向かって満足せずに進む姿勢、夢を実現する姿は、これから渡航する方や現在渡航している方にも非常に参考になると思います!ぜひ読んでみてください。

夢への想いと背中を押す運命のタイミング

あいさんとは唯一ですが、日本人同士でも英語で会話してたんですが、それはそれで楽しかったですね。

オーストラリアでボディーボードも始めました!

そうでしたね。留学中は、日本人とは極力絡まずに、英語環境に身をおきたかったので、そうなりましたね(笑)コミットしてた自信はあります!

あいさんは留学前は何をされていたのですか?

ブルーマウンテン

私はファッション業界に興味があり、ファッションの専門学校に通っていました。卒業後は、好きな進路に進ませてくれた両親への感謝の気持ちもあって、アパレル会社に店頭販売のスタッフとして就職しました。今だとお店に行ってもそこまで店員さんに声をかけられる雰囲気はなくなりましたが、当時はレディースの販売がいけいけスタイルで、売り上げをあげるためにガツガツ・・・もともと初対面の人とのコミュニケーションが得意ではなかったため、やっぱり向いていないと思い、早々に退職してしまいました

そのあとはファッション業界はやめてしまったんですか?

ボンダイビーチ

いいえ、ファッションへの想いは強く、業界への情熱は変わらなかったです。もともと店頭販売よりも、バックオフィス(裏方)の仕事が希望だったため、退職後は他社に契約社員として就職し、WEBショッピングの撮影アシスタント、コーディネート、モデルさんへのフィッティングなどの仕事をしていました。やりたいことができていて順風満帆だったのですが、会社の業績悪化でわずか半年で契約終了となってしまったんです。

やりたいことができてたのに、ショックでしたね。そこからどういう経緯で留学になったのですか?

謎の「す」が小さい看板

私の仕事の最終的な目標として「バイヤーとして世界中を飛び回りたい」と思っていたので、いずれは英語の取得をしないといけないと考えていました。異文化には興味があったんですけど、高校時代は先生が厳しいのもあって英語が苦手で嫌いでした。なかなか踏ん切りがつくタイミングがなかったんです。でも、バイヤーになるには英語が不可避。まさかの契約終了!今は22歳、ワーキングホリデーなら最長でも2年で、帰国しても24歳だからもう今しかない!と決断しました。

運がないなとネガティブになるのではなく、良いタイミングだったと前向きに捉えてたのですね。

ここのコーヒーは安くて美味しい!

それからは留学に向かっての準備を始めました。資金調達は、海外の人と接するチャンスがある方が良いと考え、半年間某大手のコーヒーショップでアルバイトをしました。

半年間って、短い期間で雇ってもらえたんですね?

店長も海外生活に理解がある方だったので、短い期間でしたけど最後も気持ちよく送り出してくれました。人に恵まれました。

留学したい旨を両親に伝えた時の反応はどうでしたか?

シドニー夜景

伝え方は事後報告のような形でした。留学先の資料も取り寄せて、エージェントから出発の日程など全て自分の中で決定してから伝えました。突然伝えたと言うわけではなく、契約の仕事が終わった頃から普段の会話の中で匂わせていたのもありました。「海外生活したいから、海外行く!」「うん、いいよ。」と自分も若い時は行ってみたいと思っていたからと了承してくれました。わがままを聞いてくれた両親に感謝です。

留学エージェントを使った理由はなんですか?

夜のハーバーブリッジ

1番の理由はビザ発行が不安だったためです。結果、オーストラリアに渡航したのですが、本当はイギリスに留学したかったんです。イギリス留学は書類などの申請が複雑なため、不備があったら困ると思い利用しました。それに加えて、当時はSNSがそこまで発展してなかったため、今みたいにリアルな情報が少なかったのもあります。留学する=日本社会から逃げるみたいな風潮も強かったですしね。個人でリアルな情報が発信されている今日では、割となんでも自分で出来てしまうかもしれませんが、ビザの申請だけは失敗が出来ないので、委託した方が良さそうですよね。

ーストラリアに行ったということはイギリスのワーキンングホリデーは・・・・

オシャレカフェでブレイク

抽選に落ちました(笑)ビザ発給上限1,000人の壁は高かったですね。ビザ発給無制限のオーストラリアは寛大な国と改めて感じます。その後はエージェントの方とお話しして、オーストラリアに決めました。理由はオーストラリアで話される英語がイギリス英語ベースっていうのが1つと親日家が多いため日本人の印象は良いと言われたことでした。暖かい気候だからカナダより過ごしやすいのもありました。

渡航前に事前に英語の勉強をしましたか?

シドニー花火①

エージェントを決める理由にもなったのですが、契約するとフリー英会話教室が受けれたので、1年間通っていました。あとはアルバイト先での海外の方の接客、テキストを購入して勉強していました。

心の方の準備もしていったのですかね?目標とか?

少しでも早く英語を取得して、バイヤーになって、ビジネスの交渉ができるようになりたい。いつか仕事として海外へ買い付けに行きたいとずっと考えてました。目標は完全に定まってましたね。

半年間のアルバイトでしたが、留学費用はどれくらい準備できたのですか?

シドニー花火②

実際に現地に持って行ったのは60万円でした!多分ワーキングキングホリデーで行く人の中でも少ない方だと思います。航空券や約2週間のホームステイ先の支払いはしてましたが、語学学校の料金などは現地で選んでからの支払いだったので、お金の面はヒヤヒヤでした。

資金面だけではなくて、留学全体としての不安はありましたか?

かわいいコーヒーカップ

正直、不安でしかなかったです。日本でさえ1人暮らしをしたことがなかったのに、海外で1人暮らしができるのか。何かあってもすぐに帰れる距離ではない。お金も少ない。仕事もできるのか・・・・それでも目標に向かっていくワクワク感と半分半分でした。

やっていくしかない!前をむいて進むことだけを考える。

地について最初に思ったことは?

ホストハウスでの部屋

1番最初はホッしました。恥ずかしながら、出発直前の成田空港で急にセンチメンタルになって号泣し、過呼吸になりました。友達がサプライズで見送りに来てくれたりもあって、飛行機の中で泣きっぱなしでした。機内で泣き疲れて寝てしまい、起きたら隣の席のおじさんとたわいもないお話しをして、心が和んで落ち着きました。着いた瞬間は、やっていくしかない!と気持ちを切り替えました。

現地での生活がスタートしたところで、ホームステイ生活はいかがでしたか?

ホストファミリーの家

私はホームステイが素敵な家族でした。家族構成はホストファーザーとマザーと娘が2人。みんな優しく、気さくに話してくれました。一番心配していたのは食事面。俗に言う、ジャンクフードが多くて太る食生活になるのではと心配していたのですが、ホストファザーの健康を気遣ったヘルシーな食事でした。でも、ホームステイ期間は渡航して間もなかったので、おかわりしたいのに言えなかった思い出はあります。お腹もハングリー精神でした。。。。

学校選びのポイントはどうされましたか?

語学学校の様子

まずは第1条件として60万円しかないため安い学校を基準にしました。エージェントの方と何校かラウンドして、3ヶ月で20万円くらいのステップワンカレッジという学校にしました。見学した時の雰囲気も良かったですし、実際入学してからも、先生がとても親切で充実してました。

語学学校ではどのように過ごされたんですか?

朝教室のホワイトボードに描かれていた我らが悟空

最初のレベル分けテストでインターミディエイト(真ん中くらい)のクラスになりました。日本語でも、副詞、助詞、名詞など文法が良く分からなかったのですが、英語で説明してくれる方が日本語のテキストよりも分かりやすかったです。英語で英語の授業を受けることで、ストレートに理解できました。英語への慣れと文法の理解度の向上で、卒業の時はアッパーインターミディエイト(ビジネスができるレベルの英語)にあがることができました。

金銭面での不安を考えて、アルバイトはいつ頃はじめたのですか?

オーストラリアですきやき作りました!

学校を卒業したタイミングで始めました。アッパークラスまで上がりましたが、最初は英語力に不安があったので、Jamsで見つけたジャパニーズレストランのキッチンで働きました。時給は10ドル前後で賄い付き。4ヶ月くらい働いてました。途中からはシティの真ん中になるフードコートでテイクアウェイ(持ち帰り)ショップで働き、バイトを掛け持ちしていました。それでお金は少しは貯まりました。

ストロベリーと英語のみの環境

お金の面の不安は解消できたのですね。ファームは行かれたのですが?

イチゴ畑

どれくらいの期間滞在されたのですか?

3月にブリスベンのカブーチャという場所に行き、ストロベリーの苗植えの段階から参加しました。ストロベリーのシーズンが終わる9月までステイしました。天候によって休みもあったため、ステイが長くなったのもありますね。給与形態は歩合制でした。ファームには台湾人13人くらいの中に日本人私1人。この半年間は英語でしか会話していなかったため、語学力がグッと伸びた期間でした。逆に半年間で日本語が下手になったくらいです。台湾人のグループの英語力はあまり高くなく、言いたいことがなんとなく分かる程度でした。逆にその英語を汲み取って説明して話していたので、言葉を想像と予測する力がついたと思います。ここで自分の英語に自信がついたのは大きな転機でした。

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1年目と比べて語学が伸びたのを実感した時ってありましたか?

重宝していた日本の調味料とインスタント
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日常になった海外生活、英語力のさらなる肉付け

その後2年目はどうのように過ごされたんですか?目標は?

無事セカンドビザも取得でき、そのままファーム生活をしながら2年目に突入しました。2年目の目標は英語のブラッシュアップでした。

そのままブリスベンにステイしたのか他の都市に移動したのですか?

日本人が少ないと聞いていたので、メルボルンに移動しました。実際はめちゃくちゃ多かったです。。。。エージェントも1年で契約が終了だったので、2年目は本当に自分自身の力のみで生活でした。仕事は、ファームジョブで一緒だった台湾人グループのコネを使って、チョコレート工場で勤務することができました。詳しくは覚えていないのですが、ローカルジョブなので、時給は良かった記憶があります。それでもバレンタイン期間が過ぎると仕事がなくなったため、その後はローカルカフェのディッシュウォッシャーで働きました。チップもつくので生活には余裕がでてきました。他にも小さなオフィスのハウスクリーニングメルボルン大学のテイクアウト販売の仕事もしました。

その他に語学力を高めるためにしていたことはありますか?

ハロウィンの仮装本気具合

お店など、仕事で使う言葉は限られてくるため、ある程度知識があるとボキャブラリーが伸びないと感じてました。そのためLanguage Exchange (ランゲージ エクスチェンジ)言語交換コミュニティーには定期的に参加していました。外国語を学びたい人同士がお互いに自分の話せる言語を教え合うコミュニティーです。生きた英語と異文化交流で語学だけでなく、異文化理解に深みをつけました。

向上心が素晴らしいですね。他にも何かしてましたか?

他にもボランティア活動に3回参加しました。最初は学生が行うファッションのチャリティー、2回目はシドニマラソンでの参加者へのゼッケン渡しなどの手伝い、3回目はジャパニーズフェスティバルに参加して、困っている人のガイドをしました。ボランティアの良いところは、全てcertificate(証明書)をもらえることですね。日本での就職活動でも使えるので、証明がもらえるのは意外に大切だと思いました。そして、2年目の最後は1年目に余裕がなかったので、観光を楽しみました。

最後はどれくらい喋れる様になりましたか?

もちろん普段の会話は問題なくできるようになりました。たまに知らない単語があって、言いたことが直接的に伝えられないないときは、遠回りしてでも、置き換えて伝えるようにはできるようになりましたね。その能力は大分伸びたと思います。具体的なスコアで言うと、渡航前は英検3級(中学生程度)あるかないかくらいでしたが、IELTSスコア5(TOEIC 700~800/TOEFL iBT 35~59/英検準1級程度)になりました。今でも英語を使っているので、また試験を受けて力試ししてみたいですね。

夢を叶えることにコミットできた結果と失敗談

冒頭の紹介でもありましたが、帰国後はバイヤーとして海外への買い付けに行けたんですね。

念願のパリへ!

帰国後は就職活動をし、念願のバイヤーの職に就くことができました。バイヤーのアシスタントではありますが、ずっと夢だった海外での買い付け、「ファッションの都パリ」に仕事で訪れることができました。その後の転職先でも本社と英語でやりとりをしたりと留学経験が活かされています

留学中のモットーみたいなのはありましたか?

モットーというか基本は、なるべく日本人がいないところにいること日本人に話されても英語で返すくらい拘っていました。それもあってRamoshiさんとも英語で話してました。

それだけコミットした充実した2年間に見えるのですが、失敗談などもありましたか?

たくさんありましたよ(笑)1年目のときに、お金がなくて20〜30分かけて歩いてショッピングモール行こうとしていた時に20ドル札が落ちていて、これは神様が可哀想な私にくれたプレゼントだと思って、そのお金で節約で我慢していた甘いもの(ヘビのグミ)を買ったんです。でも、、、、、食べた時に銀歯が取れてしまいした。歯医者は保険が効かなかったので、日本語対応歯医者にいったら400ドルかかってしました。

2年目の時はメルボルンでバックパッカーズホテルにステイしていた時、水筒をキッチンで洗っただけなのに、まさかの水あたりをしました。宿で約12時間、お腹をロープでしばられたような腹痛に襲われ、そのあとも苦しく、1日半くらい悶えていました。たまたま同じ部屋に居合わせた香港の女の子が、心配してくれておかゆ作ってくれたのは救いでした。

帰国直前では、帰国前に親族が遊びに来てくれて、一緒に泊まったホテルのルームキーをチェックアウトした後も、ポケットにいれたまま出掛けてしまったこともありました。

小さいものはまだまだありますが、これも全て今では良い思い出と教訓になってます!!

人生観の変化、みんなへ伝えたいこと

渡航前の自分と何が変わったか?人生変わった?

メルボルンの夜景

行く前はネガティブ志向で、くよくよしがちでした。でも、帰国後はストレスフリーになって、ぐっすり眠れるようになりました。悩んでいることがちっぽけだなってネガティブ思考が改善されましたね。

これから留学する人に伝えたいことはありますか?

長い時間ありがとうございました。あいさんのお話を聞いて私もさらに何かにコミットしなければいけないと思いました。今後のご活躍を応援してます!

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